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العنوان
صورة المرأة في روايتي ”القرمزي المفقود” لإينتشي فوميكو” و”أنا أحيا” لليلى بعلبكي :
المؤلف
خالد، آلاء عبد الباسط عبده.
هيئة الاعداد
باحث / آلاء عبد الباسط عبده خالد
مشرف / كرم خليل سالم
مشرف / أميمة عبد الرحمن خشبة
تاريخ النشر
2021.
عدد الصفحات
233 ص. ؛
اللغة
اليابانية
الدرجة
الدكتوراه
التخصص
الأدب والنظرية الأدبية
تاريخ الإجازة
1/1/2021
مكان الإجازة
جامعة عين شمس - كلية الألسن - اللغة اليابانية
الفهرس
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from 233

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Abstract

本研究では、日本文学とアラブ文学の比較を行う。この比較文学論文の分野は女性文学である。基本的にアメリカ派の比較文学論という方法論を使用する。そこで、直接交流のない日本文学作品とアラブ文学作品における女性像の描写の共通点と相違点を明らかにする。その大きな枠組みの中にフェミニズム文学批評という方法論を使用する。日本とレバノンの女性作家の作品を比較す。対象作家として円地文子(1905—1989)とライラ・バアラバキ(1936—)を取り上げ、その中から円地は『朱を奪うもの』(1956)、バアラバキは『私が生きる』(1958)を主な対象作品とする。
キーワードとして使われている「女性像」とは「女性文学作品において、女性登場人物の造形と役割の描かれ方を焦点とされること」を意味する。女性像の造形とは、女性登場人物のキャラクター要素(身体、社会階級、思考、精神の形成)の描写の仕方を指示する。女性像の役割とは、社会に確立された女性の性役割に属する女性人物とそれに属しない女性人物の性役割を分析することを意味する。
『朱を奪うもの』では女性像の役割によって、七つのキャラクター・パターンがある。(劇作家、祖母、マルクスガール、妻、お嬢さん、妾、仲人)がある。一方、『私が生きる』では、五つのキャラクター・パターンがある。(反抗的な女性像、典型的な母親、姉妹、同僚、妾)がある。
この二作品を比較し、その中に見られる三つの問題点:①女性の身体の価値観。②女性作家独自の内観、世界観。③家父長制の批評を出発点として、これらの作品をフェミニズムの視点から分析し、作品における女性像の造形と役割を考察する。
円地文子とライラ・バアルバキの文化的背景が大幅に異なっているにもかかわらず、二人の女性作家の女性像の造形と役割の描かれ方に、様々な類似点と相違点を検討した